2021-06-08 第204回国会 参議院 環境委員会 第15号
参加していただいた知名度の高いカンニングの竹山さんとか、ああいった方々も参加してくれたおかげで、福島のこういう課題があるんだということや、賛否両論も含めた意見が率直に交わされる、そのスタートがあったことは次につながると思いました。
参加していただいた知名度の高いカンニングの竹山さんとか、ああいった方々も参加してくれたおかげで、福島のこういう課題があるんだということや、賛否両論も含めた意見が率直に交わされる、そのスタートがあったことは次につながると思いました。
私の地元横浜はまさにベッドタウンでございまして、私の横浜市青葉区、緑区に関しても、たまプラーザ団地ですとか竹山団地とか、大規模な団地というのが本当に極めて多数存在いたします。
○足立委員 以上で終わりますが、これから参議院まで、とにかく堺市の竹山さんの疑惑、これは徹底してこの総務委員会で追及していくこと、それから、共産党が破防法の調査対象団体であることを隠しながら、それをデマだと言い募りながら政治活動を続けていることに対して追及を続けることを国民の皆様にお誓いをして、質問を終わります。 ありがとうございました。
ただ、最初、本当は共産党の話をしたかったんですが、ちょっと順番を変えさせていただいて、堺の竹山市長の話を先にやりたいと思います。 まず、きのう、通告がちょっとばたばたしまして、ちょっと忙しかったものですから、事務方には御負担をおかけしたことをおわびをしたいと思います。
しかし、このまま、まさに新聞が書いているように、竹山氏が公の場で追及を受ける機会は事実上なくなった、全容解明にはほど遠いまま、竹山氏は表舞台から退場する、そういうことで政治資金規正法は適正にこれからも運用されるのかということを僕は心配しているんですよ、心配しないですか。 それで、大阪府選管に総務大臣が形式的事実確認はしているけれども、状況の報告とか受けることはできないんですか。
その市長から提出された資料をちょっと、出てきたので、きょう、ぺらぺら見ていてびっくりしたのは、税理士の方からそれは提出されているんですけれども、タイトルは、竹山修身氏の政治団体における会計処理に関する調査報告書というものです。 税理士の方なのに、絶対的な正確性が担保されるものじゃないとか、あと、りそな銀行の通帳の残高証明がついているんですけれども、それが間違っているんだと。
ちなみに、二十年前の一九九八年の一月、行政監視委員会が初めてできたときに、初代委員長の竹山裕先生は、本委員会に課せられています使命は、国権の最高機関である国会が、その機能を十分に発揮し、行政を恒常的に監視すると、これが機能であるということをおっしゃっていただいています。
左側に、竹山昭子先生が書かれた「戦争と放送」の「序」を引用しておきました。竹山先生は、東京放送、TBS勤務の後、昭和女子大学で教鞭を執られた方であります。 ここには、「一二月八日の開戦の日、情報局第二部第三課長の宮本吉夫は、「ラジオの前にお集り下さい」という放送を行っている。「いよいよその時が来ました。国民総進軍のときが来ました。
この間、当時は、自民党でいいますと竹山参議院議員、それから公明党の山下栄一参議院議員などの方が非常に大きな危機感を持って、この条文の意味するところをしっかりと把握をした上で、行政評価局に、そうした事案があった場合、この四条十二に基づいて監視をさせるということを決意されたんですね。
昭和女子大の竹山昭子先生が一九九四年に書かれた「戦争と放送」という本があります。私もこの委員会で何回か紹介してまいりましたけれども、竹山先生は、太平洋戦争さなかの放送を直接聞いた経験をお持ちです。後書きにこうあります。 女学校に入った年の十二月であった。朝七時のニュース、本八日未明、西太平洋において、アメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れりの大本営発表が響いてきた。
参考人 駐日ケニア共和 国特命全権大使 ソロモン・カ ランジャ・マ イナ君 駐日エリトリア 国特命全権大使 エスティファ ノス・アフォ ワキ・ハイレ 君 (通訳 竹山
こういった竹山を少し減らすという意味で、防災対策と掛け合わせることによって、そして長年掛かって育つ木とは異なり、すぐに育つ竹でありますので、非常に様々な経済的な効果もあるのではないかと思います。 木材ポイントの次には竹ポイントを提案をしたいと思いますが、林大臣の見解を伺いたいと思います。
この補助金、多くの補助金を受け取っている市町村の一つであります大阪の堺市、竹山市長は、この交付金を返還しないのかというマスコミの問いに対して、いただけるものを断ったら市民に損失を与える、ありがたくいただきたい、こういう報道が三月二日付の毎日新聞で報じられております。
昭和女子大学の竹山昭子先生が一九九四年にお書きになった「戦争と放送」という本があります。竹山先生は太平洋戦争中の放送を自らお聞きになられた体験をお持ちです。その先生が、戦後、東京放送、TBSにお勤めになった後、教職に就かれ、そのときに書かれたのが「戦争と放送」という本です。戦前の放送の実態を示す原典史料に当たり、また戦前のラジオ放送に直接携わった幾人かの証言を聞いて書かれたものであります。
行政監視委員会は平成十年にスタートいたしておりますが、初代の竹山委員長は委員会のあいさつで次のように述べております。本委員会に課せられております使命は、国権の最高機関である国会が、その機能を十分に発揮して、行政を恒常的に監視するということであり、委員長としてその職責の重大さを痛感している次第でございますと。 そして、その後、平成十一年、十二年、十五、十六年と決議をいたしております。
先ほど紹介した竹山先生の本の中にも、むしろそういう役割を、積極的に役割に同調していった当時の状況が記されておりまして、日本放送協会の当時の会長、小森七郎さんが、一九四二年、昭和十七年一月一日、聴取者の皆様へと題する放送で、昨年十二月八日、我が国がついに多年の宿敵、米英に対し矛を取って立つに及びまするや、我が放送事業もこれに対応する新たなる体制を取るに至ったのであります。
今、竹山さんという方の御認識といいましょうか、その著作御披瀝ございましたんですが、やはり放送法の中に考え方として、理念として、今お話がございましたとおり、放送の不偏不党ということ、それから、真実そして自律を保障することによって放送による表現の自由を確保すると、こうしたことが一条の二で規定をされているということがございます。
昭和女子大学の竹山昭子先生が一九九四年にお書きになった「戦争と放送」という本であります。この竹山昭子先生は、太平洋戦争のさなかの放送を自分で直接お聞きになった経験がおありです。紹介します。 太平洋戦争の開戦は女学校に入った年の十二月であった。寒い朝で、私はまだ布団の中にいた。
国会議員として二十四年の長きにわたり在職されました井上裕君、竹山裕君、真鍋賢二君、倉田寛之君及び吉川春子君に対し、永年の功労を表彰することにいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
次いで、国会議員として二十四年にわたり在職されました前議員井上裕君、竹山裕君、真鍋賢二君、倉田寛之君及び吉川春子君に対し、永年の功労を表彰することについて異議の有無をもってお諮りいたします。 次に、日程第一について、厚生労働委員長が報告された後、押しボタン式投票をもって採決いたします。 以上をもちまして本日の議事を終了いたします。その所要時間は約十五分の見込みでございます。
昨日までに、芝博一君、前川清成君、大久保勉君、加藤敏幸君、広田一君、富岡由紀夫君、鰐淵洋子君、谷合正明君、中川雅治君、山本順三君、岩城光英君、岡田直樹君、末松信介君及び中島啓雄君が委員を辞任され、その補欠として足立信也君、島田智哉子君、谷博之君、藤原正司君、黒岩宇洋君、福山哲郎君、弘友和夫君、山口那津男君、小泉顕雄君、鴻池祥肇君、竹山裕君、中原爽君、真鍋賢二君及び吉田博美君が選任されました。
平成十九年七月五日(木曜日) 午前十時十六分開会 ───────────── 委員の異動 六月二十八日 辞任 補欠選任 芝 博一君 足立 信也君 前川 清成君 島田智哉子君 六月二十九日 辞任 補欠選任 岩城 光英君 竹山 裕君 岡田 直樹君 中原 爽君
藤原 正司君 理 事 秋元 司君 鴻池 祥肇君 朝日 俊弘君 工藤堅太郎君 委 員 佐藤 泰三君 鈴木 政二君 田村耕太郎君 竹山
補欠選任 足立 信也君 芝 博一君 島田智哉子君 前川 清成君 谷 博之君 櫻井 充君 福山 哲郎君 小川 敏夫君 弘友 和夫君 鰐淵 洋子君 六月二十八日 辞任 補欠選任 小泉 顕雄君 中川 雅治君 鴻池 祥肇君 山本 順三君 竹山
本日、鴻池祥肇君、竹山裕君、中原爽君、真鍋賢二君及び山口那津男君が委員を辞任され、その補欠として山本順三君、岩城光英君、岡田直樹君、末松信介君及び谷合正明君が選任されました。 ─────────────